Lil Drops

雫アクセサリー作家の奮闘日々。毎日更新を目指して。

ちょっと昔の話をしようか。

こんばんはー!シュリアです!

 

最近、有難いことにブログの読者様がとても増えて、コメントもいただけるようになりました。

本当にありがとうございます。

しかし、ツイッターのフォロワー様は増えない……。

スマホからご覧になっている方はもしかして、横のツイッターフォローのボタンが見えていないのではないか?ということで

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先日、映画を見てまいりました。

実は私多趣味でして、映画も読書も音楽もハンドメイドもアニメもゲームもマンガも……あと他に絵を描いたり、シールと付箋を集めるのが好きだったりします。

昔は小説を書くのも趣味でした。文章を書くのは好きですね。

だから、ブログもこうして続いていると思います。

 

特に、映画は、その中でも大好きですね。

 

あ、今回、ハンドメイドのことではないので、

予告通り、ちょっとした物語を書きますのであらかじめご了承ください。

 

でも、私がハンドメイドをしている原点の原点というか根本の部分の物語ではあるかもしれません。

物語部分にご興味のない方は、超絶簡単に要約してあるので、

こちらからジャンプしてください。

 

 

私は、映画、またはライブを見ていると不思議な感覚になるのです。

 

「何故、私はココにいるんだろうか?」

 

みなさんはそんな感覚に陥ったことはないでしょうか??

 

私にはあります。

 

では、少し昔話でもいたしましょうか。

 

 

ここは、舞台。

 

何百人という観客がワタシを見ている。

私の紡ぐ台詞を待っている。

そして、私はそれに応える。

私の声がホールに響き渡る。

観客は、ワタシの指の先まで集中してみている。

ライトが眩しい。

汗が流れる。

少し埃臭い香りが鼻孔をくすぐる。

 

それでも私は涼しい顔をする。

思いをのせて台詞を紡ぐ。

 

それに合わせて相手が返す。

そしてまた私はそれに返す。

 

決まった言の葉に私をのせて

時には私というものを消して

 

今の私はワタシであって私ではない。

頭の上から足の先まで今の私は「ワタシ」である。

私なのか「ワタシ」なのか、それはもうわからない。

それくらい何度も「ワタシ」になった。

 

否、もう私は「ワタシ」である。

 

 

掛け合いが続く。

 

観客たちは私たちの一挙一動に注目している。

 

間、台詞、動作

 

全て何度も何度も繰り返し練習してきた。

その通りに、練習通りに……。

 

いや、それじゃあ、だめだ。

今の観客たちと「合っていない」。

 

だから、こう変える。

 

それに合わせて、みんなが変わる。

 

間も

台詞も

動作も

 

練習通りのようで練習通りでない。

 

毎回練習通りにいくことなんてない。

トラブルはつきものである。

 

咄嗟に反応するのは、「ワタシ」であって、私ではない。

 

自分でも驚くほどに、私は「ワタシ」になっていた。

 

観客たちとの一体感。

生という緊張感。

一切のミスは許されない。

一秒たりとも遅れてはいけない。

遅れてしまったら失格だ。

 

だから、さっきここで間をとったから、その分ここは巻く。

自然と動く。自然と考えている。

 

練習の時に負った傷が痛い。

けれど、それは私であって「ワタシ」ではない。

 

痛くても、私はどうなっても「ワタシ」でいなければ。

 

暗転。

 

それでも、観客には見えている。

常に私は「ワタシ」でいること。

 

暗闇の中、配置につく。

 

どうやら相方も配置についた。

 

照明のタイミング。

 

スポットライトがあたる。

 

最大の見せ場の掛け合い。

この物語の重要なシーン。

 

カチッとピースがはまる。

 

なんて

 

なんて

 

気持ちいいことだろう。

 

 

 

練習は辛い。

一時間分の台詞量。

しかも私はほぼ主役だ。

最初から最後まで出てる唯一の役だ。

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

繰り返し繰り返し繰り返し

何があるかわからない。

もちろん、どの役もすぐにこなせるように、

全役の台詞と動きは覚える。

 

声量が足りない!!!!!と監督からの罵声。

運動部並の運動量。

 

かみ合わない見せ場のシーン。

 

納得がいくまで何度も。

台詞を紡ぎ、動いては、また紡ぐ。

 

私が「ワタシ」になるまで。

吐きそうになる。

「ワタシ」になれない私がいる。

 

何度も泣いた。

 

納得がいかない私の演技に。

 

最後の台詞。

最後の演出。

 

降りていく幕を内側から眺める。

 

その向こうから聞こえる割れんばかりの拍手。

 

どこかのマンガの受け売りだけど、

 

もがいて苦しんで

でも、それがチャラになるときがくる。

私はそれに憑りつかれたどうしようもない生き物なのだ。

 

その台詞がまさにピッタリである。

 

私は、表現せずには生きていけない人種なんだと。

 

 

だから、映画やライブを見ていると、

「何故、私はココ(観客席)にいるのだ?」

と、感じてしまうのです。

 

 

 

あぁ、私は表現する側の人間なんだと

そのマンガを読んだ時に思いました。

 

私の根っこは、表現することなんだと。

 

だから、ハンドメイドにもこれだけのめりこんだのかもしれません。

 

自分の思うような表現ができないとあがいてもがいて、

辛くて泣いて、どうしようもない時もある。

けれど、人のことを思い、作り、

その人が喜んでくれた時、

すべてがチャラになる。

そんな瞬間に憑りつかれたんです。

 

あー、こんなこと書いて恥ずかしい!!笑

自分に酔ってるみたいで!!笑

 

ここまで読んでくださった方ありがとうございます(土下座

 

 

要約

つまり、私は昔演劇部にしててね。それでね、表現するということが大好きなの。

ハンドメイドもある意味自分を表現してることだねって!

だから、私はここまでハンドメイドにのめりこんだんだね!

というお話でした!